2011年6月1日、朝の出勤時は雨が少し。 二週間ほど前、所属するある団体から震災調査報告会の案内メールが届いていたが 忙しくて見ることができたのは三日前くらいだった。
主催する高知県南国市には今自分の子供が住んでいることもあって、 さらに詳しい案内がないかと南国市のホームページなどを探してみたが見つからず、 「ほんとにメールの記述通りにやるんだろうか?」と疑問を抱きつつも 妙に開催場所などに電話で確認する気もおきず。(これが俺のダメなとこ)
だいたい平日の午後3時からなんて、普通に仕事してる人には無理なんではないかと 「行けない言い訳」などを考える始末で情けないことこの上ない。 「いかん、いかん、こんなことでは」と思い直して午前中に仕事を追い込んだ。
なんとか午後から仕事を放っておける状態になったので昼食後職場を出て路面電車。 高知市内より後免町駅まで一時間弱、450円。 傘は持っていたが、午後からは少し日差し。
電車の停留所より会場までゆっくり歩いて10分弱。開会の約20分前に到着。 「ちょっと早かったかな?」と思ったが、200人以上は入ることのできそうな会場に、 すでに7割5分ほどの入りだった。
後ろの真ん中へんに一旦座ったが、前の人背が高くてスクリーンが見えそうになくて
演壇からみて左側ブロックに移動。通路から1席開けて座っていると、自分より少し年配の
おんちゃん(「おじちゃん」の土佐弁)が、
「ここ、かまんかねえ」(この席空いてますか?)
「どうぞ、どうぞ」と私。
席に着くなり、このおんちゃんが話しかけてきた。
「いや、まっことむごいことでねえ、。
親もおじいちゃんもおばあちゃんも流されて、ひっとり(一人)になった
ちっちゃい子もおるがやと。」
「そうやねえ」と相づちを打つと
「わしも、もうちっと若かったら手伝いに行けたと思うがやけんど、気の毒でならんねえ」
と続けた。
色々話を聞くと、定年退職されたばかりの消防隊員の方だった。
さすがに顔が広く、来る人来る人が声をかけていく。
「おまん(お前)、こんな後ろに居っていくかよ、もっと前に行かにゃあ」という声には
「いかん、近頃しょんべんが近こうなったき、
すっと行けるク(場所を示す土佐弁)に居らなあ、あはは」と答え、
前に歩いて行くスーツのおんちゃんを見つけて、
「お、市長が来た、あいさつしちょかなあ」と言って南国市長に声をかけに行って、
少し話をしてすぐ戻って話の続き。
「まっこと、けんど、こんな時に国会は何をしゆうがじゃろうねえ。
まだ、なんちゃあ(「何にも」の土佐弁)進んでないに、総理から大臣から変わって
どうすらあねえ、。選挙らあできるわけないやいか。」
話は地震・津波から原発事故へと拡がる。開会時刻までいろんな話をした。 その話の中で、「今日の報告会は南国市の自主防災組織・消防団への報告を 主にした会」であったことがようやく判明。 南国市は大事なところがよくわかっているなあ、納得。
開会間際には席が足らなくなって追加で椅子を出すまでになった。 (翌日の新聞で参加者約250名だったとの事)
それにしても、と思う。 ぜんぜん面識のない相手に、こうして気軽にいろんな事を話しかけてくる こういうおんちゃん、おばちゃんが高知にはたくさんいる。 スーパーで物を選んでいても、 「いや、これ安いねえ」とか「今日は、まっこと蒸し暑いねえ」など ホントに気軽に声をかけてくれる。
高知のおんちゃん・おばちゃんを知らない人にしてみたら
「この人、人違いで話しかけてるのかな?」
と思うかも知れない。けど、人違いではなく、
親しい隣人のように誰にでも話しかけてくるのだ。
高知のすごいところは、こんなおんちゃん・おばちゃんがたくさん居ること。 高知でなくても別の地方に行けば似たような状況はあるかもしれないけど、 維新の志士や豊かな自然の山・川・海にもひけをとらない、すばらしい資源だあ。
そして災害に遇ったとき力になるのが、このコミュニケーション力なのだ。